今回ご紹介する1977年(昭和52年)のヒット曲は、石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」です。 「津軽海峡・冬景色」は、1977年(昭和52年)1月1日に発売された石川さゆりさんの15枚目のシングルでです。作詞:阿久悠さん、作曲:三木たかしさんとなっています。
石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」は、名曲中の名曲ですよね。 サビの「あぁぁぁぁ~、津軽海峡冬~景~色~♪」ってところが好きなんです。ところで、曲の中でも歌われている「青函連絡船」って今はもうないよね?
青函連絡船は、本州の北端の青森駅と北海道の南端の函館駅間の連絡航路で、1908年(明治41年)に開業しています。そして、1988年(昭和63年)に「青函トンネル」が開通したことで運航終了となっています。
青函連絡船運航終了の時はテレビのニュースで見たような気がするよ。 でも、北海道に行くときは、飛行機だから「青函連絡船」も「青函トンネル」も経験したことがないんだよね。
まぁ、北海道までなかなか車でも列車でも行く機会もないですよね。 さて、石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」ですが、1977年(昭和52年)の第19回日本レコード大賞歌唱賞、FNS歌謡祭グランプリ・最優秀歌唱賞などの音楽賞を獲得しています。もちろん売上はミリオンを達成しています。 「津軽海峡・冬景色」の大ヒットで、石川さゆりさんがアイドル歌手から本格的演歌歌手へと脱皮したんですよね。
石川さゆりさんってアイドルだったの?
石川さゆりさんは、1973年(昭和48年)に「かくれんぼ」という曲でデビューしています。山口百恵さんやキャンディーズと同期なんですよね。 所属していたホリプロでは、森昌子さん、山口百恵さんと一緒に「ホリプロ3人娘」として売り出そうとしていたようですよ。

ほんとだね。この時代のアイドルって感じだね。
ただ、石川さゆりさんがメンバーの「ホリプロ3人娘」は人気が出なかったんですね。逆に、森昌子さん、山口百恵さんに桜田淳子さんを加えた「花の中3トリオ」が人気になっちゃうという感じです。
それは、つらいよね。焦りもあるだろうし…。
そうなんですよね。だから、なかなかヒットに恵まれない石川さゆりさんをなんとかしてあげたいと所属事務所の方でも色々と考えていたようです。
そうした中で、生まれたのがこの「津軽海峡・冬景色」になるんだ。
そうなんですが、もともとこの「津軽海峡・冬景色」はシングルで発売されたわけではなく、「365日恋もよう(1976年)」というアルバムに収録されていた一曲なんだそうです。このアルバムは1年12か月を月ごとにテーマにした12曲で構成されていて、その最後12月が「津軽海峡・冬景色」だったそうです。 コンサートでアルバムの収録曲を披露したところ「津軽海峡・冬景色」が一番の反響だったということで、急遽シングルカットされたみたいですよ。
なるほど、そういうことだったんだね。
余談になりますが、「津軽海峡・冬景色」って、「さ~よならあなた~、私は~帰ります~♪」とあるように男を振って(故郷へ)帰る女性の歌なんですよね。この時代、男性に振られた女性の心境を表現した曲が多いんですが、「津軽海峡・冬景色」は逆ですよね。
なるほど~、そこは気が付かなかったけど、ある意味、吹っ切れた強い女性を歌った曲なんだね。勉強になりました!
1977年(昭和52年)のヒット曲「津軽海峡・冬景色」石川さゆり
1977年(昭和52年)ヒット曲
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津軽海峡・冬景色を振り返る
当時の音楽シーンを彩り、大きな感動を与えました。
音楽の軌跡
その活動は、現在のJ-POPシーンにも通じる革新性がありました。
この曲を聴く
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🏮 日本の音楽文化への影響
「津軽海峡・冬景色(石川さゆり) 1977年(昭和52年)」は単なるヒット曲を超え、昭和50年代の日本の音楽文化を形作った重要な楽曲の一つです。この時代の音楽は、テレビの普及やレコード産業の成長とともに、日本全国の家庭に届けられました。
その後の音楽シーンにも少なからず影響を与えたこの曲は、後続のアーティストたちにとってもインスピレーションの源となっています。昭和・平成の音楽史を辿る時、この曲は必ず言及される名曲として確固たる地位を築いています。
